死は誰にとっても避けられない運命ですが、それをネガティブに捉えるのではなく、自分の人生の集大成としての「卒業式」と考えてみるのはいかがでしょうか。私はある時期から、自分が死んだときに流してほしい音楽のリストをエンディングノートに記しています。これは、残された家族が選曲に迷わないようにという配慮でもありますが、それ以上に、私自身のアイデンティティを最期にどう定義したいかという、自分自身の死生観の表明でもあります。私のリストの1曲目は、幼少期に何度も聴いたクラシックの小品です。これは、私の魂が起源に戻ることを象徴しています。2曲目は、人生の苦しい時期に私を励ましてくれた、お気に入りのロックバンドのバラードです。激しすぎないアコースティックバージョンを指定しています。そこには「人生には苦難もあったが、それを含めて愛おしいものだった」というメッセージを込めたいと考えています。そして、出棺の際に流してほしいのは、あえて少し明るいアップテンポな曲です。参列者がしんみりと肩を落とすのではなく、「あいつらしいな」と苦笑いしながら、軽やかな足取りで私を見送ってほしいからです。このように自分の葬儀の音楽を考えることは、今の自分の生き方を見つめ直す作業でもあります。どんな曲に囲まれて幕を閉じたいかを考えると、今、誰を大切にし、どのような時間を過ごすべきかが見えてきます。音楽は、人生の句読点です。もし、自分の人生を1枚のアルバムに例えるなら、その最後のトラックをどの曲で締めくくるかは、非常に重要なクリエイティブな決断です。最近では、自分の葬儀のためのプレイリストを音楽ストリーミングサービスで作っておく人も増えています。それは、デジタル時代の遺言書と言えるでしょう。また、特定の曲だけでなく、「鳥の声」や「雨の音」といった自然音だけを流してほしいというミニマリストな要望もあります。どのような選択であれ、それが本人の意志であるならば、その音楽は最強の遺言となります。死を遠ざけるのではなく、美しい旋律と共に迎え入れる準備をすること。それは、人生を全うするための、知的で優雅なたしなみではないでしょうか。私が作成したリストが実際に使われる日はまだ先であってほしいと願いますが、そのリストがあることで、私は死に対する恐怖を少しだけ、楽しみな期待へと変えることができています。
私が自分の葬儀で流してほしい音楽リストと死生観