私のクローゼットには、20年前に他界した父が愛用していたブラックスーツが掛かっています。父が亡くなった後、私はしばらくそのスーツに触れることができませんでしたが、30歳を過ぎ、親戚の葬儀に参列することになった際、ふと思い立って袖を通してみました。当時の父の体型は私よりも大柄だったため、そのままでは不格好でしたが、腕の良いお直し職人に依頼し、肩幅を詰め、身幅を私の体型に合わせて現代風のシルエットに作り替えてもらいました。驚いたのは、20年以上前の生地であるにもかかわらず、その黒の深みが全く褪せていなかったことです。上質なウールを使い、丁寧な濃染加工が施された当時の礼服は、現代の安価な大量生産品とは比べものにならないほどのオーラを放っていました。職人は「この生地はもう今は手に入らないほど良いものですよ」と言いながら、一針一針丁寧に仕上げてくれました。そのスーツを纏って式に臨んだ時、私はまるで父の温もりに守られているような、不思議な安心感に包まれました。ブラックスーツは、流行を追わないからこそ、世代を超えて受け継ぐことができる数少ない衣服です。父がどのような思いでこのスーツを着て、誰を見送ってきたのか。それを想像しながら、今度は私がこのスーツを着て、大切な人を送る。この漆黒の布地を介して、命の連鎖が続いていることを肌で感じました。葬儀の会場で鏡を見た時、そこには父によく似た自分の姿があり、不覚にも涙がこぼれそうになりました。ブラックスーツは、単なる衣服の形式ではなく、家族の歴史や想いを記憶し、受け継いでいくための装置なのかもしれません。新しく買うことも大切ですが、もし手元に大切な人が遺した質の良いスーツがあるなら、それを直して着るという選択肢も、最高に贅沢で誠実な供養の形ではないでしょうか。父の形見のブラックスーツは、これからも私の人生の重要な場面に寄り添い、静かに私を律し続けてくれることでしょう。その深い黒は、去りゆく者の尊厳と、生き続ける者の責任を、私に教え続けてくれています。形あるものはいつか壊れますが、磨き上げられた品質と、そこに宿る精神は、こうして時代を超えて生き続けるのです。