母は、生前からずっと言っていました。「私のお葬式は、絶対にしないでね。お金もかかるし、みんなに気を遣わせるのも嫌だから。火葬場から、こっそり煙になって、空に還るだけでいいの」。その言葉は、母らしい、どこかカラッとした、周りへの気遣いに満ちたものでした。そして、その日が来た時、私たち兄妹は、母の遺志を尊重し、「直葬」という形で見送ることを、迷わず決めました。通夜も、告別式もありません。母が亡くなった翌々日、私と兄、そしてそれぞれの配偶者の、たった四人だけで、市の火葬場へと向かいました。霊安室で対面した母は、白い装束に身を包み、とても穏やかな顔で眠っているようでした。葬儀社の女性が、「お花をどうぞ」と、小さな花束を渡してくれました。私たちは、一人ひとり、棺の中の母の顔の周りに、白いカーネーションをそっと手向けました。「お母さん、ありがとう」。兄が、震える声でそう言うと、堰を切ったように、皆の目から涙が溢れました。儀式はありません。僧侶の読経も、大勢の弔問客もいません。ただ、静かな部屋で、家族四人だけで、母との最後の時間を過ごしました。それは、誰に気兼ねすることもない、濃密で、そしてあまりにも個人的な時間でした。やがて、火葬炉の扉が、重い音を立てて閉まりました。私たちは、深く頭を下げ、母の旅立ちを、ただ静かに見送りました。待合室で待つ二時間、私たちは、母の思い出話をしました。子供の頃のやんちゃな話、兄の結婚式の時に泣いていた話、私が初めて給料でプレゼントしたスカーフを、ずっと大切にしてくれていた話。涙と、そして笑いの中で、母という一人の人間が、どれほど豊かで、愛情深い人生を送ってきたかを、改めて確認し合いました。骨上げを終え、小さくなった母を抱いて火葬場を出た時、空は、母が好きだった、抜けるような青空でした。豪華な祭壇も、大勢の参列者もなかったけれど、そこには、確かに、私たちの心からの感謝と愛情に満ちた、世界で一つだけの、温かいお葬式がありました。母の望んだ通りのお別れができたという安堵感が、私たちの深い悲しみを、そっと包んでくれているようでした。
私の選んだ直葬、静かなお別れの中で考えたこと