社会人になって数年が経った頃、学生時代の恩師の訃報が届きました。私にとって、初めて一人で参列する本格的な葬儀でした。会場の厳粛な雰囲気に圧倒されながら、見よう見まねで受付を済ませ、席に着きました。周囲の人々は皆、落ち着き払っているように見え、私だけが場違いな存在のように感じられました。やがて、焼香の順番が回ってきました。心臓が早鐘のように打ち、掌にじっとりと汗が滲みます。「大丈夫、前の人の真似をすればいい」。そう自分に言い聞かせ、席を立ちました。しかし、焼香台の手前まで進んだ瞬間、私の頭の中は、真っ白になってしまいました。最初に礼をするのは、ご遺族だったか、祭壇だったか。抹香は何回つまむのか。そもそも、どっちの手で?練習してきたはずの作法は、緊張ですべて吹き飛んでいました。前の人の動きなど、全く目に入っていませんでした。パニックになった私は、とりあえず、周りの人と同じように見えればいいと、ぎこちない動きで、震える手で抹香をつまみ、香炉に入れました。合掌したものの、何を祈ったのかも覚えていません。ご遺族への礼も、どこか上の空でした。自席に戻った後も、心臓のバクバクは収まらず、「とんでもない失礼をしてしまったのではないか」という自己嫌悪で、顔から火が出るほどでした。葬儀が終わり、会場の外で呆然と立ち尽くしていると、恩師の奥様が私のところに歩み寄ってきました。「〇〇君、来てくれてありがとう。先生、喜んでいるわ」。その優しい言葉に、私は思わず涙がこぼれました。その時、私は悟りました。作法を間違えずに完璧に行うことよりも、大切な人の死を悼み、その場に駆けつけようとする、その気持ちそのものが、何よりも尊いのだと。もちろん、マナーを知り、正しく振る舞う努力は大切です。しかし、たとえ失敗しても、その根底に誠実な心があれば、その思いは必ず相手に伝わる。あの日の苦い経験は、私に、形式を超えた弔いの本質を教えてくれた、忘れられない教訓となりました。
私が初めて立礼焼香で頭が真っ白になった日