祖母は、熱心なクリスチャンでした。毎週、日曜日の礼拝を欠かさず、その穏やかな信仰は、彼女の優しい人柄そのものでした。そんな祖母が天に召された時、私たちは、彼女が長年通った教会で、葬儀を執り行うことにしました。私は、仏式の葬儀しか経験がなく、何もかもが初めてのことばかりで、戸惑いの連続でした。特に、会社の上司や同僚に訃報を連絡する際、どう伝えれば良いのか、深く悩みました。「香典はご辞退申し上げます」と伝えるべきか。しかし、それでは何も受け取らないという、あまりにも素っ気ない印象を与えてしまうのではないか。そんな時、教会の牧師様が、優しくアドバイスをくださいました。「『御香典はご辞退申し上げますが、もしお心遣いいただけるようでしたら、御花料としてお受けいたします』と、お伝えになってはいかがですか」。その「御花料」という言葉を聞いた瞬間、私は、目の前の霧が晴れるような思いがしました。「香典」という、仏教的な強い響きを持つ言葉ではなく、「花」という、誰にとっても普遍的で、優しく、そして美しい響きを持つ言葉。それは、祖母の穏やかな人柄と、キリスト教式の葬儀の清らかな雰囲気に、あまりにもぴったりと合っていました。早速、会社にその旨を伝えると、電話口の上司も、「なるほど、御花料ですね。承知いたしました」と、スムーズに理解してくれました。葬儀当日、受付には、同僚たちの名前が書かれた「御花料」の袋が、いくつも届けられていました。その一つ一つに込められた温かい心遣いが、悲しみの中にいた私の心を、どれほど慰めてくれたか分かりません。そして、そのお花代のおかげで、祭壇は、祖母が好きだった白い百合の花で、溢れんばかりに美しく飾られました。言葉一つで、人の心はこれほどまでに軽くなり、誤解なく、スムーズに物事が進むのだと、私はこの時、身をもって知りました。「お花代」という言葉は、私にとって、ただの不祝儀の表書きではありません。それは、異なる文化や価値観を持つ人々を、優しく繋いでくれた、感謝と祈りの言葉なのです。