父の葬儀は、遠く離れた故郷で、静かに行われました。私は長男として、慣れない喪主の務めに、ただただ必死でした。悲しみに浸る間もなく、次々と決めなければならないこと、対応しなければならない人々の波に、溺れそうになっていました。そんな慌ただしさの中で、葬儀社の方から、束になった弔電を手渡されました。その中の一通に、私の手が止まりました。差出人は、私が大学時代に最もお世話になった、今は退官された恩師の名前でした。高齢で、遠方にお住まいのため、参列が難しいことは分かっていましたが、まさか弔電をいただけるとは思っていませんでした。震える手で開いたその文面には、私の父に一度だけお会いした時の思い出と、「君を育てた、立派なお父様でした。今はただ、ゆっくりとお休みください。そして君は、父上の背中を誇りに、前を向いて歩きなさい」という、力強く、そして温かい言葉が綴られていました。その言葉を読んだ瞬間、張り詰めていた緊張の糸が切れ、私は人目もはばからず、声を上げて泣いてしまいました。その弔電は、葬儀という非日常の中で、孤独と不安に苛まれていた私の心を、確かに救ってくれたのです。しかし、葬儀が終わり、自宅に戻ってからの日々は、手続きや片付けに追われ、あっという間に過ぎていきました。恩師へのお礼状を書かなければ、と思いながらも、日々の忙しさに紛れ、気づけば一ヶ月以上が経ってしまっていました。「今更、遅すぎるのではないか」。そんな焦りと申し訳なさで、ペンを取る手が重くなりました。意を決して、私は手紙ではなく、電話を手に取りました。受話器の向こうの恩師の声は、少しも変わっていませんでした。私が、お礼が遅れたことを詫びると、先生は笑ってこう言いました。「気にするな。君が大変なのは、分かっていたよ。弔電は、返事を期待して送るものじゃない。ただ、君の心が少しでも安らげばと思って送っただけだ」。その言葉に、私は再び涙が溢れそうになるのをこらえました。形式やタイミングも大切かもしれない。でも、それ以上に大切なのは、人の心を思う、誠実な気持ちなのだと。あの一枚の弔電と、受話器越しの温かい声が、私に教えてくれた、何よりも尊い教訓でした。
弔電一枚に込められた温かい言葉と、遅れてしまったお礼